カタチのないカタチ [【日常】 日記/雑感]

今年のテーマは「カタチではないカタチ」ということを意識できたらと思う。

余談だけどそういえば、将棋と囲碁でこんなポイントがある。どちらも趣味だけれど、将棋の場合はいかに早く、攻めあるいは守りの「カタチを決め」て相手の機先を制するかがポイントで、逆に囲碁はいかにギリギリまで「カタチを決めず」にいて相手に目標を与えないかがポイントとなる。同じ伝統のボードゲームなのに対照的で面白い。

「カタチ」話で脱線してしまったけれど、今年は人間関係を始めあらゆる場面でカタチにとらわれずにいられたらと思う。とらわれないのが苦手ではあるけれど。

苦手なのには理由がある。

小さいころはずっと、お医者さんにも分からない病気を抱える身として、常に「健常者」と「障がい者」の間で悩んできた。健常者の友達と遊ぶと、ケガをしやすい自分は気を遣われてしまうし、一方障がい者としては一見元気そうに見えるためにどこが悪いのかと言われて、どちらにいてもある種の疎外感を持ってきた。

だから、障がい者手帳を取得した時は不安の一方で安心感も得られ、何とも複雑な気分だった。後に自分の病名がはっきり診断がついたときもそうだった。

卒業後就職に苦労し、在宅ワーカーとなった。いつどうなるかという不安が付きまとった。未熟だったあの頃は仕事と家の境がグダグダになったのも不安だった。スーツを着て、カバンもって出勤して、名刺を持って…というのに憧れもあった。今思えば惜しい事をしたと思う。

地元の会社に就職した。スーツ出勤かと思いきや私服でよいと言われた。ささやかな会社員への憧れは最初にコケた(笑)みんなは所属が明確だったのに自分は所属がなく、掛け持ち仕事だった。

あいまいが不安で耐えられなくて、いつも白黒させたい。カタチなり肩書きなり一つあれば、とりあえずは安心できた昔だった。

今年はそんなことにこだわらず、家族恋人親友友達とかとらわれず、大事なものがあればそれを大事なままでいられたらいいな、と思った。他者との関係なんて、結局、なるようにしかならないのだから。いつも以上に、そう思う年になったので頑張ってみたい。不安に克たなきゃ。

あぁ、スナフキンみたいに生きてみたい。そして彼も絶対、自分と同じB型ではないだろうかなんて、ほんの少し妄想してみたりする。坂本龍馬もBじゃないかな、なんて思ったりしながら、B血液型の説明書を読みながら大いに頷くのだった。

思い付くまま徒然書いた。長文乱文失礼。
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